「好きな人と一緒に飲んだコーヒーだかららだと思う」
若い頃(30年位前)働いていた職場での話・・・
課の室長(女性)が
「一番おいしいコーヒーは横浜ニューグランドホテルのコーヒー」
とよく言っていた。
横浜ニューグランドホテルと言えば、横浜山下公園通り沿いにある素敵なホテル。
晩秋にはイチョウ並木が黄色く輝き、なお一層心ときめく景色となる。
山下公園通りを散策するとその存在感は格別な記憶がある。
室長の話を聞いていると
「確かにこんな素敵なところで飲むコーヒーはおいしいんだ」
と思た。
山下公園に行くことはあっても当時の私には敷居が高くニューグランドは縁遠い存在でもあった。
そんなある時、一番年が近い上司(女性)が
「よく、室長が(一番おいしいコーヒーはニューグランのコーヒー)って言っているけど、
それは好きな人と一緒に飲むコーヒーだからよ~」
と言った。
コーヒーの銘柄が、産地が、バリスタの腕が・・・
とかそういう問題じゃないのよ~っていう感じで
嬉しそうに私に話してくれた。
当時、室長にはそういう方がいらっしゃったのだ。
よくわかっていない私は室長がコーヒーの話をすると、ニューグランドの場所がいいからとか、高級なコーヒー豆を使っているからと、思っていた。
でも、その後もこの話は(両方とも)何度か繰り返されたが私にとってただの世間話で終わっていた。
年を重ねて気づいた事
先日、雑用を色々済ませたあとケンタッキーの500円ランチを食べた。
店内には山下達郎や竹内まりあのクリスマスソングが流れていた。
その曲を聴きながらレモンティーを飲んでいる時になんとも言えない解放された心地良さを感じた。日頃の仕事や家事の疲れはもちろんだけど、積もり積もった悲しみ(母の死、愛犬の死)や自分の体力の衰えなどなど・・・一瞬だが忘れさせてくれていた。
先述した室長とは立場も情景も違うけど、今更ながら、当時聞き流していた話が思い出された。
私の場合、好きな人と一緒に食べていたわけではなく、一人で食べていたのだが・・・大好きな達郎の曲が流れていたことが背景にあるのかな。
室長という重責を担う職についていた方にとって、若い私には実感のない色々なものを背負っておられたのだと思った。プライベートでも仕事でも。
一時でも日常を離れ、横浜ニューグランドホテルで好きな方とコーヒーを飲む。
,br>横浜ニューグランドホテルで飲むコーヒーは最高においしいコーヒーだったんだ。
私のおいしいコーヒー(思い出)
ちょうど室長のもとで働いていて、主人と結婚する事も決まった頃の話。
主人が私の両親に会いにきてくれる事になり、その前に主人が仕事をしているところへ私が会いに行くことになった。
金曜日の夜、仕事が終わってから当時私が住んでいた神奈川から東京を経由して特急電車に乗り主人のいる信州へと向かった。
一緒に仕事をしている方々数人と同居しているところへ泊めさせてもらった。
翌朝、初夏とはいえ、信州の朝はひんやりと澄んだ空気につつまれていた。
テラスというか、軒下というか、そこへみんな集っていた。
その時、A氏がドリッパーを使って、さりげなくブラックコーヒーを淹れてくれた。
普段ブラックコーヒーをあまり飲まない私ですが、さすがにお断りするのはと思いいただくことにした。
A氏が淹れてくれたコーヒーは今まで飲んだことのない「おいしいコーヒー」だった。
とても幸せな気持ちになった。
その後30年経った今でも、このA氏が淹れてくれたコーヒーが私の「おいしコーヒー」。
家に帰ってから、また飲んでみたくて、ドリッパーや、ペーパーフィルターを買ってきて淹れてみたが、同じ「おいしいコーヒー」はできなかった。
信州という非日常的な場所、きれいな空気、もうすぐ結婚するという幸せ、主人の仲間の方々と会う事ができた等々、そしてA氏はあんなに「おいしいコーヒー」について何も語らづに淹れてくれた。「どこどこのコーヒー豆です」とか、「こうやって淹れるといい」とかそんな事一言も言わずに本当にさりげなく淹れてくれた。そういう背景がなお一層「おいしいコーヒー」となったのかな。今はそう思う。
また年齢を重ねてこのことを思い出すかもしれない。その時はまたその年齢に応じた違う感じかたがあるのかもしれない。